杉江能楽堂について
大正時代から続く能楽堂
杉江能楽堂は岸和田藩第十三代藩主であった岡部長職(おかべながもと)から、岸和田城内にあった能舞台の橋掛りを譲り受け
観世流能楽師の杉江櫻圀(すぎえおうこく)により大正6年(1917年)に創建された民間では大阪府下で最古と言われている能楽堂です。
京都西本願寺の国宝能舞台の形式を踏まえ、そのひなびた舞台は、前庭の白洲と地植えの松と相俟って四季を通じて趣深いものがあります。
また、舞台の水引に掲げられています「國華」の扁額は、岡部長職の揮毫によるもので、元となる掛け軸の桐箱にも揮毫と表装の経緯について説明が残されています。
昭和42年に長年の損傷により、修理、改築され、その記念には、嫡男岡部長景(おかべ ながかげ)により、「和楽全」が揮毫されました。
「和楽全」の書は額に納められ、現在も正面座敷に掛けられています。
杉江能楽堂は、岸和田城の歴史に深い所縁を持ち、先達から受け継いだ所有者により良好に保存されてきた歴史的建築物です。
現存する唯一の形式
杉江能楽堂は、能舞台と木造平屋建ての正面と脇正面側の見所となる座敷を配する対置式能楽堂です。
見どころの座敷と能舞台との間には白州に半透明アクリル板の採光できる屋根を掛ける形式は、明治期から大正期に、対置式から囲繞式に能楽堂が移行する時期にだけ見られるものです。
同形式の代表的な能楽堂は、鹿鳴館を継承した内山下町華族会館能楽堂(大正6年に宮中能楽堂を移築)もありましたが現存していません。
現在は、白州上部に半透明アクリル板屋根が掛かり、光を遮蔽するシートで覆うことで、白州は外気に通じているため、四季の風を肌で感じることで、「能」本来の野外で演じられた頃の趣の一端をお楽しみいただけます。
杉江能楽堂の文化的価値
杉江能楽堂は近代建築としての評価も高く受けています。
日本建築学会は昭和49年から全国に残る明治・大正・昭和戦前の建物の所在調査を行い、
全国一万三千棟にのぼる「日本近代建築総覧」リストの中から、
「姿形がよい」、「技術史上大切である」、「特色ある景観を構成している」、「地域の歴史をたどるうえで大切である」などの理由により
建築学的に見て貴重であるとされる二千棟の一つに選定されました。
また、杉江能楽堂が意匠的に秀でた理由として、国宝西本願寺北能舞台を模した能舞台の瀟洒な趣と白州の構成を述べており、選定理由を補足する上で、貴重な証言と考えられています。
能舞台には、組物である斗栱や蟇股が見当たらず、簡素な造りとなっており、能楽堂全体の意匠と調和しています。
昭和61年(1986年)には、大阪府知事岸昌から杉江能楽堂保存会に対して、「能楽堂の保存につとめたこと」、「毎年謡曲会を主催して地域文化の振興に著しい貢献をしたこと」を理由に表彰されています。
杉江能楽堂は、地元の歴史・文化と深い関係を保ちながら、良好に保存されてきた建造物であり、近代能楽堂及び近代建築として、特筆すべき文化財的価値を有すると認められています。
近畿大学建築学部 奥冨利幸教授 杉江能楽堂所見より
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